2013年 写真(Photo)

経済産業省HPより参照


2013.3.21 浪江町(警戒区域)

請戸地区

請戸地区の人口は震災前約1600人。

2年前の3月11日の津波で多くの家屋が流され、消防団が懸命の捜索を行うも、翌3月12日、福島第一原発が爆発。

がれきの下で多くの人が助けを待っていると知りながら、消防団は捜索は断念せざるを得なかった。

町の復興計画には「原発事故により行方不明者の捜索ができないまま避難を余儀なくされ…」と記されている。
失われた住民の命、127人。

近隣のモニタリングポスト

大字請戸集会所 0.08μSv/h(2013/03)

福島第一原発からわずか6キロ。
南の海岸線を望めば原発の排気塔がみえる(2013年3月撮影)

震災から2年たってなお、浪江町のがれきは手つかずのまま放置されていた。
(浪江町の処理が始まったのは、この撮影の数か月後から。)
宮城や岩手とくらべ、原発事故の影響で、がれき処理が大幅に遅れている。(2013年3月撮影)


請戸小学校

請戸小学校の時計の針は、津波が到達した3時38分で止まっていた。
地震発生時、学校には約80人の子どもがいた。(2013年3月撮影)

(2016年11月撮影)

津波にのまれた教科書。

先生たちは、津波が来る前に、80人の子ども全員を、安全な場所まで走って避難させた。
「釜石の奇跡」のようには話題にならないが、町の人たちは「的確な判断のおかげで子どもの命が助かった」と感謝している。(2013年5月撮影) 


2013.5.4 双葉町(帰還困難区域)

「原子力明るい未来のエネルギー」

東京電力福島第一原子力発電所は、福島県双葉郡の大熊町と双葉町とにまたがる形で立地していた。
双葉町は、原子炉増設の機運を高める目的で、標語を町民らから公募した。その結果、1987年に小学校6年生であった双葉町出身の大沼勇治が学校の宿題で考案した「原子力明るい未来のエネルギー」などの標語が採用された。
当時の大沼には、原子力発電所によって「町が発展してビルが建ち並び、新幹線も通るのかな」との希望があった。

 

双葉町はそれらの標語を記した看板を、町の中心部に設置した。看板は、原発と共存してきた町の象徴とされてきた。特に、国道6号から見える「原子力明るい未来のエネルギー」は、原発を推進した双葉町の象徴的な風景であった。(2013年5月撮影)

 

※「原子力明るい未来のエネルギー」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年4月28日 (日) 05:15 UTC、URL: https://ja.wikipedia.orgより引用

近隣のモニタリングポスト

双葉町 新山(双葉町体育館)4.22μSv/h(2013/05)

「原子力正しい理解で豊かなくらし」
「原子力郷土の発展豊かな未来」
原子力にたくした標語が、無人の街に掲げられている。(2013年5月撮影)

双葉高校近くの通学路

近隣のモニタリングポスト
双葉総合公園 1.83μSv/h(2013/05/31)


双葉高校

双葉高校は原子力災害時集合場所に指定されていた。

2011年3月12日朝。福島第一原発から10km圏内の住民への避難が発令され、双葉高校は重篤患者の緊急脱出用のヘリポートに指定される。

2011年3月12日午後。福島第一原発1号機が水素爆発。避難のヘリコプターが双葉高校に到着するも、多くの住民も集まっていたため、すべての患者がヘリにのることはできなかった。
住民の方の話によれば、次の救援ヘリの到着を待つ翌朝までの間に、亡くなってしまった患者さんもいたという。(2013年5月撮影)


2013.2.28 浪江町(警戒区域)

浪江駅前広場

近隣のモニタリングポスト

JR浪江駅 1.56μSv/h(2013/02/15)

町内に掲示されていた看板(2013年2月撮影)



※近隣のモニタリングポストの数値は「福島県放射能測定マップ」を参照
http://fukushima-radioactivity.jp/pc/
撮影ポイントのもっとも近隣にある、モニタリングポストの測定データーであり、撮影ポイントから数百m離れているケースが多いです。全体的な状況を知るための参考値であり、撮影ポイントの空間線量ではありません。)


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